政治・政策
2010年10月04日
報道規制?
なんで報道が一切ないの?
別に右翼でもなんでもない、純粋な日本人のデモなんだけど。
この土曜日、これだけの日本人がデモをしたのにどーでもいいニュース流してたのはなぜ?私が知ったのは日曜の夕方、たまたま。
もしこれが右翼的に見えるなら、これまでの報道と教育で洗脳されている証拠ではないか。
マスコミは事実だけ伝えてくれればよい。
タレントのコメントなんか聞きたくないし、事の是非や上下左右はこっちで判断するから。情報操作するなよ。
別に右翼でもなんでもない、純粋な日本人のデモなんだけど。
この土曜日、これだけの日本人がデモをしたのにどーでもいいニュース流してたのはなぜ?私が知ったのは日曜の夕方、たまたま。
もしこれが右翼的に見えるなら、これまでの報道と教育で洗脳されている証拠ではないか。
マスコミは事実だけ伝えてくれればよい。
タレントのコメントなんか聞きたくないし、事の是非や上下左右はこっちで判断するから。情報操作するなよ。
wadahironet at 10:47|Permalink│Comments(3)│
2009年02月03日
和田中のPTA改革
「夜スペ」や「ドテラ」で有名な杉並区立和田中学校(民間人の校長)では、昨年度でPTAが廃止された。廃止というとマイナスのイメージが強い(当時外野からの批判が多かった)が、実態は保護者と地域が積極的に教育に参加しようという新たな試みである。
PTAという組織が従来よりも負担が増加し(共働きも増えた)、役員選びが大変であるというのは地方の彦根も同じである。黄金期の経験者からは精神論や「教師と対等に話せる場」としての現状維持を強く主張される場合が多いが、実態は形骸化している部分もあり見直しが必要な時期が来たと思う。単に前例踏襲し学校や行政の下請けになっているだけでは、保護者や地域が積極的に教育に関与しているとは言いがたい。さらに地域には子ども会もあり、実際はどちらも役員をやっている人がいたりして、特定少数の保護者に負担増を強いている現状は見過ごせない。
和田中では「ドテラ」などで主導的に活動してきた「地域本部」という地域の教育活動を推進するボランティア組織があり、今回はこれにPTAの役割が吸収された形となる。従ってすぐに「彦根でPTAを廃止します」とはならないが、彦根独自の地域教育のシステムを構築するため、教育委員会とならんで、そのあり方を再検討する必要がある。
追記
本日、塩谷文科相が小中学校の新学習指導要領で道徳教育が重視されることに絡み、「先人の生き方に学ぶ」などとした「『心を育(はぐく)む』ための5つの提案」を発表した。
提案は(1)「読み書きそろばん・外遊び」を推進する(2)校訓を見つめ直し、実践する(3)先人の生き方や本物の文化・芸術から学ぶ(4)家庭で、生活の基本的ルールをつくる(5)地域の力で、教育を支える。
生活の基本的ルールについて、塩谷文科相は「私の提案」として、「いじめるな」「うそをつくな」「人に迷惑をかけるな」などの具体例も挙げた(産経新聞)。
「心の教育」=「道徳教育」とすると誤解が生じるのではないか。自分を理解して感情をコントロールする(何が正しいかを自分で判断する)能力を養うことが「心の教育」では重要であり、それによって対人(対社会)関係能力(=コミュニケーション能力)・さらには地域愛も育めるし、基礎学習(読み書きそろばん)への取り組み方も変わってくると考えている。楽しく学べないとね。「本物の文化・芸術から学ぶ」機会を与えることや「地域の力で、教育を支える」ことには賛同できる。
PTAという組織が従来よりも負担が増加し(共働きも増えた)、役員選びが大変であるというのは地方の彦根も同じである。黄金期の経験者からは精神論や「教師と対等に話せる場」としての現状維持を強く主張される場合が多いが、実態は形骸化している部分もあり見直しが必要な時期が来たと思う。単に前例踏襲し学校や行政の下請けになっているだけでは、保護者や地域が積極的に教育に関与しているとは言いがたい。さらに地域には子ども会もあり、実際はどちらも役員をやっている人がいたりして、特定少数の保護者に負担増を強いている現状は見過ごせない。
和田中では「ドテラ」などで主導的に活動してきた「地域本部」という地域の教育活動を推進するボランティア組織があり、今回はこれにPTAの役割が吸収された形となる。従ってすぐに「彦根でPTAを廃止します」とはならないが、彦根独自の地域教育のシステムを構築するため、教育委員会とならんで、そのあり方を再検討する必要がある。
追記
本日、塩谷文科相が小中学校の新学習指導要領で道徳教育が重視されることに絡み、「先人の生き方に学ぶ」などとした「『心を育(はぐく)む』ための5つの提案」を発表した。
提案は(1)「読み書きそろばん・外遊び」を推進する(2)校訓を見つめ直し、実践する(3)先人の生き方や本物の文化・芸術から学ぶ(4)家庭で、生活の基本的ルールをつくる(5)地域の力で、教育を支える。
生活の基本的ルールについて、塩谷文科相は「私の提案」として、「いじめるな」「うそをつくな」「人に迷惑をかけるな」などの具体例も挙げた(産経新聞)。
「心の教育」=「道徳教育」とすると誤解が生じるのではないか。自分を理解して感情をコントロールする(何が正しいかを自分で判断する)能力を養うことが「心の教育」では重要であり、それによって対人(対社会)関係能力(=コミュニケーション能力)・さらには地域愛も育めるし、基礎学習(読み書きそろばん)への取り組み方も変わってくると考えている。楽しく学べないとね。「本物の文化・芸術から学ぶ」機会を与えることや「地域の力で、教育を支える」ことには賛同できる。
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2009年01月31日
赤カブト・巨ベラ・湖上ハウス
実は先週の記者発表の時に、新たな観光施策の具体例を挙げさせていただいた。いくつかは新聞で紹介していただいたが、今日は荒神山周辺の私のビジョンを述べたい。
荒神山ふもと、曽根沼の南に残土の埋立地があり、彦根市はごみ処理施設を予定していたのだが、地盤が軟弱であるため断念している。私はここはまず整地だけして屋外コンサートができる広場とオートキャンプ場にすべきだと考えている(何も建てれないんだから)。荒神山の自然と琵琶湖を楽しむことができる絶好のロケーションだと思うし、それほどの投資は要らないからである。
ずっと申し上げている通り、彦根には「井伊の赤備え」という歴史があり、この「赤」を彦根の新創造ブランド(文化)とすべきである。で、赤いカブトは「赤兜」そのものであり、これの里にすべきであると。純国産種に赤いカブトムシやノコギリクワガタがいて交配可能なので、「彦根産・赤カブト」と呼ばれる種が子どもでも普通に採れる森を育てたい。
さらに、曽根沼周辺は野鳥が豊富で観察に訪れる人も多いのだが、沼の中は私が小さい頃とは生態系が変わり外来魚だらけである。この沼は完全にブルーギルとブラックバスを駆逐してヘラブナ釣りだけができるような場所にしたい。
釣りはフナに始まりフナに終わる、と言われるようにヘラブナ釣りは奥が深く、特に高齢の愛好家が多い。元々琵琶湖原産の魚であるにもかかわらず、琵琶湖周辺にはきちんと管理された釣り場がないのが現状である(漁港は波風の影響が大きい)。あくまで自然体で、四季を通じて安全に楽しめる有名な釣り場を作れば、集客も見込める。周辺にはいくつも溜池があるのでフナ釣りの里を構築することも可能であると考えている。昨今の釣り市場の拡大、高齢化を考えれば、このマーケティングは間違っていないと思う。「釣り」は恵まれた場所にいるが故に気が付いていない「観光資源」の一つである。
以前にもブログに書いたが、私は琵琶湖を右のようにしたい。
琵琶湖は潮の干満や大きな波もないし、東岸(彦根)からは夕日が美しい。
日本では法的な制限が多いが、決して不可能ではない。
琵琶湖の水質を守り、在来魚の産卵場となるような、環境保全型の湖上ハウスを開発できればと思う。これはあくまでもビジョンであるが。
以上が、「あるものを活かして(できるだけお金をかけずに)」「自然と共生しながら」「滞在型の観光を目指す」、荒神山編である。
荒神山ふもと、曽根沼の南に残土の埋立地があり、彦根市はごみ処理施設を予定していたのだが、地盤が軟弱であるため断念している。私はここはまず整地だけして屋外コンサートができる広場とオートキャンプ場にすべきだと考えている(何も建てれないんだから)。荒神山の自然と琵琶湖を楽しむことができる絶好のロケーションだと思うし、それほどの投資は要らないからである。
ずっと申し上げている通り、彦根には「井伊の赤備え」という歴史があり、この「赤」を彦根の新創造ブランド(文化)とすべきである。で、赤いカブトは「赤兜」そのものであり、これの里にすべきであると。純国産種に赤いカブトムシやノコギリクワガタがいて交配可能なので、「彦根産・赤カブト」と呼ばれる種が子どもでも普通に採れる森を育てたい。
さらに、曽根沼周辺は野鳥が豊富で観察に訪れる人も多いのだが、沼の中は私が小さい頃とは生態系が変わり外来魚だらけである。この沼は完全にブルーギルとブラックバスを駆逐してヘラブナ釣りだけができるような場所にしたい。
釣りはフナに始まりフナに終わる、と言われるようにヘラブナ釣りは奥が深く、特に高齢の愛好家が多い。元々琵琶湖原産の魚であるにもかかわらず、琵琶湖周辺にはきちんと管理された釣り場がないのが現状である(漁港は波風の影響が大きい)。あくまで自然体で、四季を通じて安全に楽しめる有名な釣り場を作れば、集客も見込める。周辺にはいくつも溜池があるのでフナ釣りの里を構築することも可能であると考えている。昨今の釣り市場の拡大、高齢化を考えれば、このマーケティングは間違っていないと思う。「釣り」は恵まれた場所にいるが故に気が付いていない「観光資源」の一つである。
以前にもブログに書いたが、私は琵琶湖を右のようにしたい。
琵琶湖は潮の干満や大きな波もないし、東岸(彦根)からは夕日が美しい。
日本では法的な制限が多いが、決して不可能ではない。
琵琶湖の水質を守り、在来魚の産卵場となるような、環境保全型の湖上ハウスを開発できればと思う。これはあくまでもビジョンであるが。
以上が、「あるものを活かして(できるだけお金をかけずに)」「自然と共生しながら」「滞在型の観光を目指す」、荒神山編である。
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2009年01月30日
東近江市の事件
先月、東近江市の学校敷地内で10歳の女子児童が暴行されるという痛ましい事件が起きた(記事)。
犯人は無職の22歳。安全対策は起きてしまってからでは遅い。
県警が「学校の門の施錠を徹底することや死角となる校舎の間などに防犯カメラを設置すること、また休みでも職員を常駐させることなどを要請」(BBCびわこ放送)したのに対し、県教委は「門を施錠してもフェンスのない学校もある。逆に地域の人たちに開放することで大人の目を届かせるなど地域に協力をお願いしたい」(同)という無責任な対応。
私は2005年のマニフェストで、2007年までに学校内の不審者侵入の検知・通報を行うシステムの導入し、それを段階的に通学路の監視や位置情報を自動送信する通報システムへと拡大することにより、地域コミュニティ全体で児童・生徒を見守るシステムを構築すると約束していた。現在はICチップ等の技術の進歩によってより低コストでの監視システムが構築可能である。
彦根でも起きてしまってからでは遅いのであって、それは100年に1度の危機ではなく「今そこにある危機」である。
犯人は無職の22歳。安全対策は起きてしまってからでは遅い。
県警が「学校の門の施錠を徹底することや死角となる校舎の間などに防犯カメラを設置すること、また休みでも職員を常駐させることなどを要請」(BBCびわこ放送)したのに対し、県教委は「門を施錠してもフェンスのない学校もある。逆に地域の人たちに開放することで大人の目を届かせるなど地域に協力をお願いしたい」(同)という無責任な対応。
私は2005年のマニフェストで、2007年までに学校内の不審者侵入の検知・通報を行うシステムの導入し、それを段階的に通学路の監視や位置情報を自動送信する通報システムへと拡大することにより、地域コミュニティ全体で児童・生徒を見守るシステムを構築すると約束していた。現在はICチップ等の技術の進歩によってより低コストでの監視システムが構築可能である。
彦根でも起きてしまってからでは遅いのであって、それは100年に1度の危機ではなく「今そこにある危機」である。
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2009年01月29日
彦根の教育再生
全国学力テストで滋賀県は小学校41/47位・中学校35/47位であり、市町別の結果は公表されていないが、彦根市は下位のほうであると聞いている(私は公表すべきだと思う)。学力テストの結果が「学力」のすべてではないが、彦根の教育を考え直さなければならないのは間違いが無い。
今年から「ゆとり教育」の見直しが始まり、新たな学習指導要領のもと時間・内容ともに増やされる(総論賛成)。また制度的には教員免許更新制の導入や自治体レベルでの小中一貫教育の導入(例、横浜市)などがあるが、前者は「不適格教員の排除を目的としていない」と謳っており実効性に疑問が残る。私は不適格教員は排除すべきであると思う。後者についてはまだ実験段階(ほとんど都会)でメリットだけ語られている面があり、地域の事情(私立が少ないなど)を精査し、地域住民の十分な合意を必要とすべき問題である。
以上のことよりも大切なのは「EQ教育」と「地域学習」だと考えている。具体的な内容は別の機会に譲るとして、両者に共通することは対人関係能力、すなわちコミュニケーションの能力である。自分の感情を正しく理解して管理する能力を養えれば、対人関係だけでなく基本的な学習についても「詰め込み」にはならない(比較にならないぐらい基礎学力は向上する)。消極的・否定的な感情を抑え積極的な思考で頭をいっぱいにして、伸び伸びと子どもを育てたいものである(スポーツにも全く同じことが言える)。
現在、国の方でも教育委員会のあり方を検討されているが、彦根独自の地域教育を推進するための新しいシステム作りが必要であると思う。この地域との連携は登下校時等の「子どもの安全」を確保する上でも必要となってくる。
今年から「ゆとり教育」の見直しが始まり、新たな学習指導要領のもと時間・内容ともに増やされる(総論賛成)。また制度的には教員免許更新制の導入や自治体レベルでの小中一貫教育の導入(例、横浜市)などがあるが、前者は「不適格教員の排除を目的としていない」と謳っており実効性に疑問が残る。私は不適格教員は排除すべきであると思う。後者についてはまだ実験段階(ほとんど都会)でメリットだけ語られている面があり、地域の事情(私立が少ないなど)を精査し、地域住民の十分な合意を必要とすべき問題である。
以上のことよりも大切なのは「EQ教育」と「地域学習」だと考えている。具体的な内容は別の機会に譲るとして、両者に共通することは対人関係能力、すなわちコミュニケーションの能力である。自分の感情を正しく理解して管理する能力を養えれば、対人関係だけでなく基本的な学習についても「詰め込み」にはならない(比較にならないぐらい基礎学力は向上する)。消極的・否定的な感情を抑え積極的な思考で頭をいっぱいにして、伸び伸びと子どもを育てたいものである(スポーツにも全く同じことが言える)。
現在、国の方でも教育委員会のあり方を検討されているが、彦根独自の地域教育を推進するための新しいシステム作りが必要であると思う。この地域との連携は登下校時等の「子どもの安全」を確保する上でも必要となってくる。
at 11:55|Permalink│Comments(0)│